mnavi Interview

Vol.16:高木正勝 V-Synth GTは、音色を探る中で新しいメロディが生まれてくる可能性を強く感じる。

その稀有な才能が、世界的にも高い評価を受けている音楽&映像アーティスト、高木正勝。CDやDVDなどのオリジナル作品のリリースはもちろん、美術館での展覧会、映画音楽やミュージック・ビデオの制作などを手がけ、多彩なフィールドを開拓し続ける彼の頭の中では、音楽と映像はどのように結びついているのだろうか。そして、その創作活動の中でシンセサイザーはどのような役割を担っているのか。今回、V-Synth GTを試奏してもらいながら、高木正勝流の音楽観、そして楽器観を語ってもらった。

映像やイメージに対しては自分の感覚の中で音を探し出せる

─ 今回、芸術人類学研究所(中沢新一所長)とのコラボレーション・プロジェクトで制作された作品『ホミチェヴァロ』は、ほぼ無声映像とのことですが、最初から音楽を加えないという方向性で制作をスタートしたのですか?

高木(以下、T):いえ、実は僕自身、制作の途中までは音楽をつける予定だったんですよ。ところが、作業が終盤にさしかかった段階で、「音楽がなくてもいいんじゃないか」という気持ちになってきて。それで映像が完成した後に、最初から最後まで通して観たら「音楽いらないな」って思って(笑)。映像には、映像そのものが持っている力強さがあるはずだし、そもそも絵画は音楽がなくても成立しているわけですから、絵画にできて、動く映像にできないわけがない。ここはひとつ、映像の可能性を信じてみようと、強気になってみたんです(笑)。だから、観てくださった方が、どう受け取るのか、今回はまったく想像がつかないですね。

─ これまでの作品制作では、やはり音楽と映像は切り離せないものという捉え方だったのですか?

T:映像作品を作り始めて8年ほど経ちますけど、制作中はどっぷりと映像の世界に入り込んでいるので、制作時のマジックというか、映像だけでも十分感動できるんですよ。僕だけが観るのであれば、音楽はいらないんです。ただ、作品が完成してマジックが解けると、やはり映像にまとわりついている空気感は薄れてしまいます。そこで、人に作品を観てもらう場合や、自分が1年後にその映像を見直すことを考えると、そこに音楽をプラスすることで制作時のマジックを再現するというか、入口を作っておこうと考えていました。でも、今回は映像が始まった瞬間に「映像だけでもいけるかもしれない」と感じられたんですね。

─ 高木さんの中でも、この映像作品は新しいスタイルだったのですね。

T:そうなんです。以前は、音楽も映像も同じ感覚で作っていたんですけど、今はそれが別々になってきて。やりたいことはどちらも一緒なんですけど、音楽で表現できることと映像でできることが、ちょっと離れてきたんですね。もちろん、耳と目で入る場所も違うわけですから、音楽と映像が組み合わさって良くなる時もあれば、マッチしない時もあるわけです。その時に、無理に合わせようとせずに、映像は映像だけでもいいんだと思えるようになって、気が楽になりました。

─ 一方で、音楽を作る際に、映像のことは考えるのですか?

T:いえ、それはないです。実はこれまで、作った音楽に映像をつけたいと思ったことはないんです。でも、映像やイメージに対しては、音楽はつけやすいんですよ。例えば、「(顔の前に手をかざしながら)ここに黄色が浮かんでいて、その横に赤があって、さらに奥に青があるイメージの音」と言われれば、自分の感覚の中では探せるんです。人に伝わるかどうかは別の話しですが、こういった音色でこの音域あたりを弾けば「あ、出てきた」っていう感覚があるんです。ただ、その逆算で「この音に対応する映像を作れ」と言われると、それはあまり作りたいとは思いません。作れば作るほど嘘っぽくなるし、近づけば近づくほど遠ざかるような感じになってしまって。

─ 映像で具体化することによって、もっと広がるはずの音楽が......。

T:そう、固定されてしまうんですね。


想像がつくような音楽は、作りたくない

─ 今の話に通じるかもしれませんが、去年リリースされた『Private/Public』も、何かしらの形で映像も収録されているのかと思いきや、ライブ盤のCDのみで、かえって音から受けるイメージが膨らみました。

T:例えば曲を作る際は、「こういうイメージに近づけたい」だとか、「こういうメロディはいいな」などと考えながら、音を入れたり抜いたりしますよね。でも、ライブ・レコーディングした素材をミックスして、それを2台のスピーカーで鳴らすという形態の作品に仕上げようとすると、そこではメロディを変えたり、音の増減は一切できないわけです。いじれるのは、音のボリュームと定位ぐらい。ただ、このライブ・アルバムのミックスをして、新しい発見があったんです。

これまでは、いろいろと勉強したり人に聞いたりして、音圧を上げるためにはコンプを使うだとか、ボーカルをより大きく聴かせるにはこのエフェクトをかけて定位はここ、というような理由でミックスをしていたんです。それが今回、出ている音がどうであれ、「この音色がこの位置だと赤になって、この付近に立ち上がり始めて、それが動くと飛び散った」というような感覚が分かったんです。そうすると、自然と使うエフェクトも決まってくるんですね。つまり、自分なりの感覚で、絵画を描くようにミックスできるようになったわけです。もちろん、それが正しいやり方なのか分からないですが、明らかにこれまで自分が知っていた"正しい"と言われているミックス手法とは異なるもので、個人的には大発見でしたね。このことは言い換えると、「ミックスの知識がなくても、明確なイメージを持ってさえいればミックスはできる」ということなんです。

これは、アコースティック楽器の演奏だって、同じですよ。例えば、ピアノでも「キラーン」と響かせたいと思えば自然とそういうタッチになりますし、同じフォルテでも、イメージによって必然的にタッチは変わってきます。自分なりに鳴らしたい音のイメージができたら、自然と気持ちよい音を鳴らせるようになるわけです。

─ そういう意味では、シンセサイザーよりもアコースティック楽器のほうが、実際は表現の自由度が高いということになるのでしょうか?

T:いや、それは両方に良さがあると思います。僕は初代V-Synthを使っていますが、これって絶対に思いつかないような音、アコースティック楽器じゃ鳴らせない音が出せるじゃないですか。そこがすごくいいと思うんです。アコースティック・ピアノだって、鳴る音は毎日違います。それは、微妙な差ではありますが、無限のバリエーションがあるということですよね。その中で、ある日、あるタイミングで「あ、この音いいな」と思えたところから曲が生まれたりするわけです。シンセだと、電源を入れればいつでも同じ音が鳴りますが、V-Synthならツマミを少し動かしただけで、劇的に音色が変わるじゃないですか。しかも、予測できない変化をする。そうして音色を探る中で「あ、この音いいな」と思える瞬間があるわけで、その感覚はアコースティック楽器でもシンセサイザーでも同じなんです。そこに、V-Synthの魅力を感じています。想像がつくような音楽なんか、作りたくないですからね。「知らないところに行きたい」という思いが、まず最初にあるんです。

─ このようなお話を伺って、10月15、16日に開催されるコンサート『Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)』がますます楽しみになってきますが、今回のコンサートはどのような雰囲気になるのでしょうか?

T:普通は、新作のアルバムをステージで再現するだとか、何かしら元となるものがあってコンサートを開くことが多いんですが、今回は、元にするものが全くない状態でのコンサートなんです。そこで何を表現するかということですが、1曲1曲の縛りはあまり考えていなくて、2時間なら2時間というコンサート全体の中で、何を見せたいかという雰囲気は掴めています。例えば映画は、まったく別の場所で別の日に撮影されたシーンで構成されていますが、映画を観る観客は、そういうことは気にしませんよね。そういう感覚で、全体の流れを重視したコンサートにしたいと考えています。楽しみにしておいてください。