mnavi Interview

Vol.21:大澤誉志幸 どんな音楽を作りたいのか。そこを明確にできれば、誰でもミュージシャンになれる時代がやってきた。

「そして僕は途方に暮れる」などの大ヒット曲や、沢田研二、中森明菜、山下久美子、吉川晃司らへの楽曲提供でメロディ・メーカーとしての地位を不動のものとした大澤誉志幸。ソロ・デビュー25周年を迎えた昨年は、自身の楽曲をボサノバなどブラジル音楽調にリアレンジを施したアルバム『Season's greetings~春』、『同~夕凪』の2枚をリリースするなど、その質の高い音楽性は健在だ。そんな彼の作曲技法を紐解きながら、大澤サウンドの根源を探ってみよう。

1つ1つの音色が"いい音"で録れるという点に関しては、
今が一番いい時代だと思います

─ 大澤さんがホーム・レコーディングを始めたのは、いつ頃ですか?

大澤(以下、O):アマチュア時代に、カセット・テープを使った4チャンネルMTR(マルチ・トラック・レコーダー)で、いわゆる"宅録"を始めました。当時は機材もずいぶんと高価だったから、ひととおりの機材を買って散財してしまってね(笑)。今のような、低価格で高音質で録れる機材を考えると「あれは何だったのか?」とも思うんですが(笑)、でも当時は、みんなそういった機材を一生懸命工夫しながら使って、80年代のサウンドが生まれてきたんですよ。音色も含めてね。その後プロになってからは、シンセサイザー・プログラマーの松武秀樹さんが"オレンジ(松武氏が当時カスタムで制作したオリジナル・サンプラー)"をスタジオに持ってきたのを使わせてもらったりしてね。今ではサンプリングも当たり前だけど、「新しい時代がやって来た」と感じたことを憶えてますよ。

─ 当時、他にはどのような機材を使っていたのですか?

O:ローランド製品は好きで、僕はたくさん使ってましたよ。ベース・マシンのTB-303とリズム・マシンTR-606をDINシンクで同期させて、リズム・パートを鳴らしたりしてました。その中でも特にのめり込んだのが、TR-909でしたね。ファットなサウンドで、大好きなリズム・マシンだったんですが、当時はTR-808が大人気で、TR-909に飛びついた人は少なかったんです。90年代にアシッド・ハウスが出てきてからTR-909のサウンドは再評価されるようになりましたけど、僕からすると「何を今さら」って思ってましたよ(笑)。あと、TR-727っていう、パーカッション音源系のリズム・マシンも好きでしたね。

─ 最新作の『Season's greetings II~夕凪』を聴いても感じましたが、リズム楽器にはかなり強いこだわりをお持ちのようですね。

O:僕は昔から、リズム感が強い音楽が好きなんです。ブラジル音楽とか、R&Bとか。アントニオ・カルロス・ジョビンも大好きですし。ただ80年代は、ボサノバやサンバでビジネス的に成功するというのは難しいというレコード会社の意向もあって、趣味の域に留めていたんです。それでも僕自身は、ブラジル音楽を日本語で歌うことで新しい音楽的な解釈ができるんじゃないかと、ずっと考えていて......。そうしたら、90年代に入って生まれたテクノ・ミュージックやドラムンベースなどの音楽でボサノバが新しい解釈をされ始めたり、去年(2008年)はボサノバ誕生50周年ということでボサノバが再発見されたりということもあって、再びブラジル音楽にめぐり巡って、やっと自分の好きな音楽ができる時期が来たかなという思いでしたね。

─ 機材的には、デジタル・レコーディング技術が進化したことで、ボサノバのようなアコースティック楽器主体の音楽作品がたくさん生まれてくるようになったということは、とても興味深い流れですよね。

O:今は、優れた音色が高いクオリティで録れますからね。アコースティック・ギターでもスネアでも、1つ1つの音色がいい音で録れるという点に関しては、今が一番いい時代だと思います。もちろん、アナログにはアナログのよさがあるし、アナログ的な圧縮感のあるサウンドが好きだという人もたくさんいます。そういう意味では、「音色」って、結局は好みなのかなとも思いますけど、ある程度の「定番の音」というのは確実に存在すると思うんです。その音色の選び方、どの音色を選ぶかは、作品の方向性や歌い手さんのカラーによって変わってきますが、「定番の音」のクオリティが格段に向上したことで、制作時間は圧倒的に短縮できるようになりましたね。昔は、「定番の音」を作るためには音色のエディットが必要でしたし、その作業にものすごく時間を費やしましたから。

─ そこにあまりに時間がかかってしまうと、結局、肝心な楽曲のイメージもぼやけてしまいがちですよね。

O:そういう意味でも「すごい便利な時代になったなと」と、日々感じていますよ。

歌詞がある音楽の場合、楽曲のテーマ設定は
楽器の音色にも大きく影響してくる

─ 大澤さんは「作曲期間」を設定して、集中して曲を作り上げるタイプですか?

O:いや、そうではないですね。「書くぞ」と集中する時が7割。残りの3割は、お風呂に入ったり、散歩している時にふとメロディが浮かぶんです。だから「メモしなきゃって」って、慌ててポータブル・レコーダーに録音して、後からそのメモを元に解析していくわけです。ただ、頭の中ではマイナー・コードで鳴っていたのに、レコーダーには単音でしか録れないから「あれ? メジャーだったかな? マイナーだっけ?」って、後で迷ったりすることはありますけどね(笑)。

─ そうやってメモしたフレーズから、どのように楽曲へ発展させていくのですか?

O:僕は、そのメモをデータ化してるんです。そのストックしたデータから、「このフレーズをAメロにしよう」、「これはBメロに使えるかな」、「サビはこのフレーズで」といったように、フレーズの断片を組み合わせていくんです。例えキーが違っていても、これとあれを組み合わせれば曲になるな、と考えていきます。あとは、言葉ですね。

─ 言葉とは、「歌詞」という意味ですか?

O:フレーズと同じように、テーマやタイトルなど、曲の雰囲気に合った言葉をたくさん羅列しておいて、フレーズとのマッチングを探っていくわけです。この言葉とこのフレーズなら、このテーマ設定の上に乗せれば作品にできそうだな、っていうことを考えていきます。特にテーマ設定は、曲にとってかなり大きな要素となります。インストゥルメンタル曲ではなくて歌詞がある音楽の場合、テーマ設定は楽器の音色にも影響します。スナッピーの効いたスネアの音にするのか、ハイハットはいらないのか。それくらい、歌詞の内容が細かく音色を決定していくんです。今では、そういったフレーズや言葉のメモは全部コンピューターの中に入れておいて、そこから順列組み合わせを考えていくパターンが多いですね。

─ コンピューターがない時代は、どのように作曲をしていたのですか?

O:言葉をメモしたノートと、フレーズを録音したカセット・テープです。ツールが違うだけで、考え方は同じですね。

─ ちなみに、大澤さんの代表曲である「そして僕は途方に暮れる」は、どのようにして作り上げたのですか?

O:まず最初に、リフが思い浮かびまして。当時、アメリカの音楽によく使われていた8分で刻む「ブンブンブンブン」というベースと、全体で鳴ってるadd9(アドナインス)の「テンテンテンテン」というフレーズがパッと出てきたんです。そこから、クラシック音楽のカノンみたいな感じで下りていくベース音を取り入れて、そこにメロディを加えていきました。その段階で、銀色夏生(作詞家、エッセイスト)の詞が断片的にあったので、その詞をメロディに乗せてみて、詞を変えたり、メロディを変えたりといったやり取りをしながら、最後に大サビを作って完成させました。

─ 当時から、楽曲を形作る過程で、詞とメロディの両方が同時にあったんですね。

O:この曲は、本当は最初の段階でサビ以外のメロディ・ラインもでき上がっていたんですよ。ただ、詞を乗せる時点でいろいろと再調整して、それに伴って何箇所かメロディを変えて、っていう感じでしたね。実は当時、そういったやり取りをニューヨークでのレコーディング中に突貫工事のように行っていて。ちょうど僕は風邪をひいていて、頭がボーッとしながら、あまり深いことを考えずにストレートに歌ったことを覚えています。

─ お話を伺っていると、感覚的な曲作りではなく、とてもロジカルな手法で作曲を行っているんですね。

O:僕は、いいメロディにいい和音がついてないと嫌ですし、代理コードを持ってくる場合でも、ボイシングも含めてきれいに流れるコード・ワークをどういうアイデアで作り上げていくかという点を、とても意識しているんです。ライブをやっていても、「ここでマイクをカッと取って、右方向に行って歌う」とか、かなりの細部までグーッと入り込んでしまう時もあるんですよ。ただ、そこまで入り込むとマズイかな、と思うこともあって。ですから今は、極端に細かくいき過ぎて煮詰まらないように、逆にスッと引くことも心がけています。この年齢になると、ある程度いい加減にならないと駄目なんだろうなって(笑)。若い頃のように、やみくもに徹夜して音を作るということができなくなったので、逆に「どう抜くか、どう引き算するか」という発想になりました。ですから、最近は「ここまで細かく考えたんだから、今日はOK」というようなスタイルで曲作りを行っています。