クラシック一筋だった僕に、佐々木さんが
シンセやロックのすべてを教えてくれた(三柴)
─ まず、「THE 金鶴」結成の経緯から聞かせてください。一般的には、三柴さんがインディーズの"ナゴム・レーベル"からアルバム・デビューをする際に、同レーベルの看板バンドであった「有頂天」に在籍していた佐々木さんがプロデュースを担当されたというお話が有名ですが。
三柴(以下、M):プロデュースがどうこう言う以前に、もうとにかくすべてにおいて、佐々木さんにはとてもお世話になってるんです。18才の時から僕のピアノを聴いてくれている方なので、ピアノの録音に関しては、すべて佐々木さんにお任せしていますし。しかも、クラシック一筋だった僕に、シンセやロックを教えてくれたのも佐々木さんですから。

─ そうだったんですか。そういったプロデューサーとミュージシャンという関係から、ミュージシャン同士としてのユニット「THE 金鶴」を結成するきっかけは?
佐々木(以下、S):実は一時期、彼と一緒に住んでいたんですよ。それで......、これ、言っちゃっていいのかな?(笑)
M:いやいや、いいですよ(笑)。
Clara(以下、C):......(笑)。まず三柴さんが「新東京正義乃士」というアマチュア・バンドを始めまして、その録音からプロデュースまでのすべてを、佐々木さんが行ってくださったんです。その時に2人が親しくなって、レコーディングが終わった後も、そのまま佐々木さんのご自宅に三柴さんが居着いてしまいまして(笑)。
─ そこから自然と、一緒に制作を行うという形になったんですか?
S:そうです。当時、僕は劇伴(劇中音楽)の仕事をいろいろやっていたんですが、僕がイメージを伝えるだけで、彼はそれをすぐに楽譜にしてくれたんです。だから、僕としても、とても仕事を楽に進められて(笑)。
M:僕としては、その時からいきなり映画音楽だとか、いろんなインストゥルメント音楽の仕事をたくさんやり始めるようになったんですよ。無声映画に音楽を付けるとか、活動弁士と一緒に演奏してテレビに出演するとか(笑)。そういった仕事は、そもそもは"佐々木貴"というミュージシャンに対してオファーが来ていたわけですが、どうせ一緒にやってるんだから、何かユニット名を付けようということになりまして。そこで「THE 金鶴」という名前を付けたんです。

─ この名前もとても印象的ですが、どのような意味から「THE 金鶴」となったのでしょうか? それとも、言葉の響きからですか?
S:それは......、これも言っちゃっていいのかな?(笑)
M:(笑)。作曲者として映画などにクレジットされるのなら、僕がどうしてもユニット名で出したいと言ったんです。そしたら、佐々木さんから"金鶴"か"天亀"って言われて。なぜだろうと思ったら、"金鶴"は佐々木さんが当時よく行ってた寿司屋さんの名前で、"天亀"は天ぷら屋さんで「どっちも、すごくおめでたい名前だから」って(笑)。僕は、"天亀"はちょっと嫌だなと思ったので、「それじゃあ"金鶴"で」ということになったんです。ただでさえおめでたい名前だし、これに"THE"を付けると運勢もいいということで、「THE 金鶴」としたんです。"金鶴"だけでインターネットで検索すると、焼肉屋さんだとか日本酒のメーカーだとかがたくさん出てくるので、検索する際は、必ず"THE"を付けてください(笑)。
─ 分かりました(笑)。では、話を少々戻させていただくと、三柴さんは4歳の頃からクラシック・ピアノを始められて、先ほどお話の出た「新東京正義乃士」で、初めてロック・バンドを組んだのですか?
M:はい、そうです。ですから、バンドやロックの音作りを、全部佐々木さんに教えてもらったんです。当時の僕は、バンドのノウハウもまったく分からずに、ベーシストがいるのに、ベース・パートまで左手で弾くような人間だったんですよ。しかも、リズムのガイド・クリックにも全然合わせられない(笑)。それまで僕は、完全に自分の中のリズムで演奏してきたものですから、「世の中にはクリックっていうものがあって......」っていう、バンドの中でのピアノ・プレイを、イチから佐々木さんに教えてもらいました。
─ そういう佐々木さんは、三柴さんのプレイを見て、どのように感じられたのですか?
S:彼のプレイは、その頃からすごくて、存在が際立っていました。僕の自宅にアップライト・ピアノがあったんですが、彼が弾くと、いつもとは全然違う素晴らしい音がするんです。だから「これはすごい人だなぁ」と思ってましたね。でも、それと同時に「ちょっと何かが欠けてる人だなぁ」とも思いながら(笑)、大変楽しく一緒に過ごさせてもらいましたね。






