元来のプロデューサー気質。
演奏に入り込んで周りが見えなくなることはない
─ 自己満足に陥らず、なおかつ自分の作りたいものを追求するという、ある意味で相反する2つのバランスを取ることは、音楽を作るうえでとても難しいことだと思います。そのバランスについて、武部さんはどのようにお考えになっていますか?
T:おそらく、時と場合によって、そのバランスは変わると思うんですよ。これだけ長く音楽の仕事をしてきて、売れたもの、売れなかったもの、いろんな作品を手がけてくると、「これは、こういう方向性で作ろう」っていうある種のスイッチが、自分の中にできてくるんですね。「これはシングル・カットする曲なんだ」というスイッチが入った時のアレンジと、そうでない場合とでは、やはりアプローチは多少変わってきます。
─ ちなみに、一青窈さんをプロデュースする際のアプローチというのは、どのようなものなのでしょうか?
T:一青さんの場合は、彼女の歌詞から導き出される世界観を、いかにサウンドで表現していくかというアプローチです。だから、一緒に組む相手によっても、僕のアプローチは多少変わるんですよ。もちろん、それは売れるために何かをやるということではなくて、相手と一緒にやることで自然に導き出されるものを一番大切に考えるということです。メロディから導き出される歌詞やアレンジがあって、逆に歌詞から導き出されるサウンドもある。それらを強引にジョイントさせようとすると、やっぱりどこかで無理が生じてしまうんですね。
─ そのためにも、武部さんのようにたくさんの音楽的な"引き出し"がないと、多彩なタイプのアーティストと共同で作品を作るのはとても難しいということだと思います。武部さんの"引き出し"の多さは、どのようにして培ってきたものなのですか?
T:僕は学生時代にロック・バンドをやっていた頃から、とにかく"歌謡曲大好き少年"で、本当にいろんな音楽に触れていたんですよ。
─ ロック・バンドを組んでいたのですか?
T:そうです。中学、高校時代はギターをやってました。ピアノは3歳から弾いていますから、まあ自転車と一緒で、今では目をつむっても弾ける......という感じですけど(笑)。ピアノを習っていたこともあって、取っかかりはクラシック音楽。そこから始まって、小学校に入った頃にグループ・サウンズやベンチャーズが流行り出して、それでエレキ・ギターを弾き始めたら、今度は、いわゆるロック・ムーブメントが湧き起こってきて。ウッド・ストックがあって、アメリカからも、イギリスからもロックが生まれて、そこからは、クロスオーバー、フュージョン、そしてスティーヴィー・ワンダーに代表されるソウル・ミュージックと、ありとあらゆる音楽をリアルタイムに通過してきました。だから、それらすべての音楽エッセンスは、自分の中に蓄積されていると思っています。

もちろん、その中でも自分が得意とするものはありますけど、一応はどんなアーティストと話しても、すぐに共通項を見出せるんですよ。例えば、すごくブラック・ミュージック好きのアーティストと話しても「あの頃のフィラデルフィア・ソウルの弦のアレンジは......」っていう話ができますし、ものすごいロック一辺倒のバンドの子たちとも「あの頃のデヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド)のギターは、こうだったよね」っていう会話もできる(笑)。そういう意味では、音楽的な引き出しは、多く持ってるとは思いますね。
─ そのような多種多様な音楽は、「勉強しよう」という意識で聴いていたのですか? それとも、純粋に音楽が好きで、いろいろと触手を伸ばしていった感じだったのですか?
T:とにかく好きで聴きまくってました。そもそも僕は、昔からプロデューサー気質だったと思うんですよ。バンドのメンバーを集めても、「君はこの楽器で、曲はこうだから......」って言って、譜面を書いて渡したり。だから、元々プロデューサー向きの性格だったのかもしれません(笑)。
─ だからこそ、先ほどおっしゃっていたように、独りよがりにならずに、ご自身の作品を客観視することができるんですね。
T:そうだと思います。コンサートなどでは、特にそうですよ。演奏に入り込んで、周りが見えなくなるなんていうことは、まずありませんから。常に全体を見ていて、自分のことは後回しになってしまうんです。特にコンサートの音楽監督をする場合は、ステージ上でも全体のことに意識がいって、自分のピアノに対する指示は一番最後ですね(笑)。



