ジャズに対してあまりに無知だったからこそ、
この道に進めたのかもしれない
─ 牧山さんは、何歳から楽器を始めたのですか?
牧山:母がピアノの先生で、父は普通の会社員でしたが、中学・高校とバイオリニストの海野義雄さんと同級生だったんです。それで、まず3歳からピアノを始めて、4歳でバイオリンも始めたんです。その後に両親が、そのままバイオリンを続けさせるどうかを、私が幼稚園の時に海野先生に相談したそうなんです。趣味で続けた方がいいのか、それとも、もう少し本格的に頑張らせるべきなのか、と。すると海野先生が「(音楽的な)耳を持っているから、やってみれば」ということで、そのままバイオリンを続けて、ご紹介いただいた大谷康子先生のところに通うようになったんです。そういう意味では、人との出会いに恵まれたと感じています。
─ 音楽大学を卒業されるまでは、クラシック一本だったのですか?
牧山:そうですね。バイオリンという楽器は、日本ではクラシック音楽以外から始めるという方はほとんどいないと思いますし、実際に私もそうでした。クラシックから始めて、スズキ・メソード(バイオリニスト鈴木鎮一氏により始められた音楽教育)であったり、教則本に則って練習していくという形ですよね。しかも私の場合は、環境的に「クラシック以外の音楽をバイオリンで弾くのは間違ってる」、「クラシック以外は音楽じゃない」というくらいの感覚で育てられていたんです。もちろん、学生時代にJ-POPなどを聴いてはいましたが、演奏面では完全にクラシック一本でした。

─ 音楽大学卒業後にフランスへ留学されていますが、それもクラシックの勉強だったのですか?
牧山:そうです。大学を卒業して、どうしてもフランスで勉強したくて、アルバイトで貯めたお金で行ったんです。もちろん、親は反対しましたが、「卒業しているんだから、文句はないでしょ?」って言って(笑)。その頃まで、まったくジャズを知らなかったんですが、その海外でジャズに出会ったんです。
─ きっかけは何だったのですか?
牧山:大好きなイツァーク・パールマンという世界的なバイオリニストが、ジャズ・ピアニストのオスカー・ピーターソンと共演したCDを見つけたんです。パールマンは、私が寝てようが何してようが、親から無理矢理にでもコンサートに連れて行かれるような素晴らしいソリストの方なんですよ。ですから、私もパールマンのCDはたくさん持っていたんですが、普段はCDのジャケットにモーツァルトやチャイコフスキーといった名前が書かれているのに、そのCDには「ミスティ」とか「マック・ザ・ナイフ」とか、それまで耳にしたことないタイトルが載っているわけですよ。「これ、何?」って思って聴いてみたら、それがジャズだったんです。そこで初めて「ジャズを弾いてみたい」と思ったんですね。
─ でも、ご両親を説得するのはかなり大変だったのではないですか?
牧山:学生時代であれば「ジャズの演奏なんかもってのほか!」と怒られたでしょうが、両親が尊敬するパールマンがジャズをやってるわけですから、私としては大きな説得材料ができたわけですよ。親達も、「パールマンがやってるんだから」って言われちゃうと、もう根負けですよね。だって、私にパールマンを教えたのは、両親なんですから(笑)。そこで、ジャズを学べる学校を探して、2002年にバークリー音楽大学に入学したんです。
─ クラシックからまったく知らないジャズへの転身は、すごく勇気が必要だったのではありませんか?
牧山:ところが、自分ではそんなに大変なことだと思ってなかったんです。当時、寺井尚子さんの活躍で「ジャズ・バイオリン」というものがあることは何となく知っていたんですが、まだ本当の難しさはまったく分かってなかったんですね。全部、譜面に書いてあることを、楽しいリズムに乗って演奏しているというくらいの認識しかなかったんですよ(笑)。それだったら、自分でもやってみたいというくらいの感覚だったんです。ジャズに対してあまりに無知だったからこそ、この道に進めたのかもしれませんね(笑)。
─ 長年バイオリンを弾いてきた牧山さんであっても、クラシックとジャズはまったく別物だったんですね。
牧山:とにかく、"アドリブ"というものがあるということすら知らなくて「何で譜面に斜線が引いてあるだけなのに、みんな演奏できるの?」って(笑)。コードネームも一切分かりませんでしたから。クラシックだと、譜面に「7」って書いてあると「属七の和音」っていうドミナント・セブンスの1つだけなんですよ。それが、もうたくさんの種類のセブンスがあるじゃないですか。「何これ?」の連続でしたね。






