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Vol.43:伊東ミキオ

ウルフルズ、秦基博、ゆず、PUFFYなど数多くのセッションに参加し、ミュージシャンから絶大な信頼を得ているロックンロール・ピアニスト、伊東ミキオ。唯一無二の個性を持ちつつ、サポート・プレイヤーとして高い評価を受ける彼の音楽センスやテクニックは、どのように生まれてきたのだろうか。これまで語られることのなかった、音楽を始めたきっかけから現在に至るまでの道のりについて、じっくりと話を聞いた。

親に手渡された予備校の入学金を返して、
本格的にバンド活動を始めた

─ 伊東さんが楽器を始めたのは、どのようなきっかけからだったのですか?

伊東:僕は熊本生まれなんですが、父親が自衛官でして、小学校1年生の時に北海道の千歳に引越したんです。その千歳の小学校で、おそらく足踏みオルガンだったと思うんですが、先生が弾いたメロディを、僕がすぐに弾くことができたんですね。すると先生から「伊東くんは耳がいいから、ピアノを習ったら上手くなるよ」って言われたんです。それで家に帰って、親父とお袋に「ピアノを習いたい」って言ったんですが、「男の子なんだから、野球とかサッカーをやれ」っていうふうに言われて。でも、どうしてもピアノをやりたいって言って、習い始めたんです。

─ 小学1年生の頃から、鍵盤に触れていたんですね。

伊東:でも、最初は赤いバイエルの一番後ろに付いている紙の鍵盤で練習してたんですよ。それを見た両親が、さすがに可哀そうだと思ったみたいで(笑)、どこからかオルガンをもらってきてくれたんです。それでも、だんだん弾けるようになると、鍵盤(音域)が足りなくなるんですよね。それで1年後くらいに、アップライト・ピアノを買ってくれたんです。その時からピアノを弾いてますから、もうかれこれ35~6年ほどになりますね。

─ まだピアノを習う男の子は少なかった時代だと思いますが、そのような中でも、最初からピアノにのめり込んでいったのですか?

伊東:そうですね。上達も比較的早かったと思うんですよ。先生からも褒められて、また調子に乗って練習をして(笑)。それに、みんなが野球やサッカーをやって中で、自分だけピアノを弾いているという優越感もありましたね。その後に、北海道から茨城に転校して、さらに中学2年で生まれ故郷の熊本に戻るんですが、その時まで、ずっとクラシック・ピアノを続けてました。

─ クラシックからロックに目覚めたのは?

伊東:熊本の家の隣が、たまたま楽器屋さんだったんです。そのお店は今でもあるんですが、そこは熊本のロック・ミュージシャンが集まるような場所で、長髪のお兄ちゃんたちがいつも来てたんですよ。僕もピアノが弾けましたし、当時はシンセサイザーにも興味を持ち始めていたので、中学3年になって、その楽器屋さんに入り浸るようになったんです。そうしたら、長髪の兄ちゃんたちが「伊東くんはピアノが弾けるんだって? だったら、これを聴くといいよ」って、ザ・ローリング・ストーンズやレオン・ラッセルなどの音楽を教えてくれて、現在に至る教育を受けたわけです(笑)。

─ クラシックから、いきなりロックにハマったわけですか?

伊東:でも元々、親父がビートルズ好きだったんですよ。だから、親父の車の中とかでロックを耳にする機会は多くて、知らず知らずのうちに、ニッキー・ホプキンスやビリー・プレストンのピアノを「カッコいいな」と感じていたんです。それで、高校に入学してバンドを始めました。当時は、RCサクセションや浜田省吾さん、オフコース、あとMODSも流行ってましたね。僕はRCが大好きで、周りのみんなも(忌野)清志郎さんやゴンタ2号さんの格好をしてましたよ。

─ 伊東さんと言えば、ロックンロール・ピアノ&オルガンというイメージが強いのですが、シンセサイザーにも興味をお持ちだったのですね。

伊東:初めて買ったシンセサイザーは、SH-101だったんです。ショルダー・シンセにして使ってました。でも和音が出せないって知らなかったんですよ。仕方ないからアルペジエーターを最速にして、和音っぽく鳴らしてたんです(笑)。

▲秦基博氏の全国ツアーでは、RD-700NXGAIA SH-01を使用している。

─ その頃から、将来的に音楽を仕事にするという意識を持っていたのですか?

伊東:ずっとピアノをやってましたから、小さい頃から「音楽で食っていこう」って考えていました。高校の進路指導の三者面談でも、先生には「大学には行かずに、アルバイトをしてでも音楽で食っていく」という意思を伝えて。もちろん、先生からは、大学や就職しても音楽を続けられるんじゃないかって言われましたけど、少しでも早くプロになりたかったんです。

─ その意思は相当固かったのですね。

伊東:そうですね。でも、親には猛反対されましたよ。結局、大学も受けたんですが、受験に失敗して。それで、親から予備校の入学金30万円を手渡されて、それを持って予備校の前まで自転車で行ったんですよ。でも、そこから自宅に引き返して「明日からアルバイトを始めて、やっぱりプロを目指したい」って、両親にお金を返して、本格的にバンド活動を始めたんです。そのバンドは、地元で結構人気が出ましてね。それで福岡でもライブをやるようになったし、東京にもツアーに行ったんです。そうして、「そろそろ東京で勝負しようか」っていうことになって、忘れもしない1988年の8月8日に、夜行列車で上京したんです。親父からもらった手紙に「ゾロ目だから、絶対成功する」って書いてありましたよ(笑)。

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Profile

伊東ミキオ

1990年に"GROUND NUTS"のキーボーディストとしてメジャー・デビュー。脱退後はソロ活動を開始し、1993年には自らがボーカルを担当するバンド"SAILIN' SHOES"を結成。同時期から数多くのレコーディング、ライブに参加しプロデュース、レコーディング、詞・曲の提供からアレンジまで手掛ける。1999年から昨年まで、ウルフルズのツアー、レコーディングにレギュラー・サポート・メンバーとして参加。その他にも、佐野元春、KAN、THE MODS、ザ・マックショウ、THEイナズマ戦隊、石橋凌、ARB、岩川浩二、馬場俊英、ゆず、 PUFFY、三宅伸治などのセッションにも参加。現在は秦基博の全国ツアーをサポートする一方で、"高木まひことシェキナベイベーズ"のプロデュースなどを行っている。

オフィシャル・サイト:
http://www.mikio.net/

Information

■CD
『Life is Happening』

LLR-003
¥2,500

■LIVE
『秦基博 全国ツアー2010-2011~DOCUMENTARY~』

1/8(土) 広島ALSOKホール
1/15(土) 新潟県民会館
1/21(金) 札幌市民ホール
1/28(金) 中京大学文化市民会館オーロラホール
1/30(日) 神戸国際会館こくさいホール
2/2(水) NHKホール
2/5(土) サンポートホール高松
2/7(月) 京都会館第一ホール
2/9(水) グランキューブ大阪
2/10(木) グランキューブ大阪(追加公演)
2/13(日) 福岡市民会館
2/18(金) 大宮ソニックシティ
2/19(土) 東京エレクトロンホール宮城
2/22(火) 神奈川県民ホール
2/23(水) 神奈川県民ホール(追加公演)

『OK!!! C'MON CHABO!!! ~CHABO'S 60th Aniv.~』

3/5(土) 東京・ZEPP TOKYO
(CHABO'S 60th Aniv. BANDとして参加)

※詳細は、上記オフィシャル・サイトをご覧ください。